2011年05月25日
マーケット・ガーデン作戦 戦跡を歩く
マーケット・ガーデン作戦 戦跡を歩く
ずっとあこがれていた戦跡巡りに2009年11月行ってきました。そのレポートです。
まあ、2年前のレポートを今更と御思いになるかと思いますが、そこは置いといて下さいね。
さて、過去にブログでパンター戦車の記事だけ書きましたが、続編を書く書くと言いながらもずっと放置状態に。
http://campohara.militaryblog.jp/e100417.html
きっかけは最近の友人の一言、『楽しみにしてるんで早く書いて』と背中を押され記事を整理アップする事にしました。
海外の戦車博物館は初体験です、思っていた以上に感動や発見がありました。やはり実際見るのと本で読むのは違います。
この辺の本を参考にネットで調べながら何とか旅してきました。
ほんと現場合わせが多かったです。


オランダ上陸
機甲戦力を手に入れる。
今回の旅では国際免許証を予め日本で発行してもらい、レンタカーを空港で借りました。
こちらがレンタカー、フィアットでした。

カーナビの装備もオプションで付けてもらい、予め調べておいた戦車博物館の住所を入力。
アルファベット入力なので簡単に操作できます。
シンプルなカーナビでしたがまったく問題もなく、使いやすかったです。


深夜に出発し、夜通し走ります。
目的地はオーバールーン戦車博物館、朝日がきれいです。
畑が広がり、朝から収穫のトラクターが動いています、道ばたには収穫物を入れる巨大なコンテナが。
作物は太いネギのような作物でした。当たりにはネギの香りが漂います。



途中にあった道路標識☆
オーバールーンの文字が!!テンション上がります。

そして‥さらに走ると‥
到着!戦車博物館です。
http://www.oorlogsmuseum-overloon.nl/nl/ホームページ
正式名称は「国立オーバールーン歴史博物館」
早く来すぎてまだ開門していません。
しかたなく時間をつぶす事に。

怪しい装甲車発見!
まったく見た事が無い形をしておりどなたか知っていましたら教えて下さい。
警察の暴徒鎮圧車両かな?軍用にはちょっと見えない。

朝から開いている地元のスーパーへ、やはりハムやワインが充実しています。
やっと開門の時間に!!
中に入ります、ワクワク。
入ってすぐに一台の戦車が目に飛び込んで来ます。
IS-2スターリン重戦車です!いきなりソ連戦車とは中々分かっているじゃないかこの博物館。
第二次世界大戦(以後WWⅡ)後半の1944年ウクライナ戦線より投入されたソ連軍重戦車で、主砲には46,3口径1931/37年型122mmA-19砲(後に43年型46,3口径D-25Tに換装)を装備。最大装甲120mm、46t、エンジンは513hpで最高速37km。
1943年12月より量産を開始し、約4000両が生産されました。
ソ連軍にとって脅威だったドイツ軍のティガー重戦車やパンター中戦車の対応策として開発実戦投入されたと聞きます。
重量の割にコンパクトな車体と強力な大口径の主砲は後のソ連製戦車へと受け継がれていきました。


前面から見たスターリン重戦車。主砲の巨大さが分かると同時に車体のコンパクトさに注目
一人分の幅しかありません、中は弾薬、燃料、無線等の装備が詰め込まれており人のスペースは最低限しかありません。
車体下にはドライバー脱出用ハッチが装備されています。

側面の装甲は、ほぼ垂直で正面の約2倍の面積があり装甲は半分、やはりこの戦車を撃破するには側面攻撃が重要です。

後方のエンジンパネルは整備性の高いボルト止めです。後面のボルトを全部外すと変速機やエンジンの交換が可能です。
丸い穴はトランスミッションの点検用。
あと、主砲を前に向けて走るとつんのめるので、戦闘以外の走行時は砲塔を後ろ向きにして走っていました。
その際はトラベリングロックと呼ばれる主砲固定器具で固定するのですが、写真では紛失しており基部後のみ確認出来ます。
丸い点検ハッチの上にある三角形の2つの金属です。ここにトラベリングロックがありました。
あと、牽引用のワイヤーも車体後部に設置されていました。
野外用なので撤去したのか、戦後にくず鉄として持ちさらわれた可能性が高いです。
砲塔後部左側に見える、丸い物は機関銃を装備するポールマウントで、車体後部より近づく歩兵掃射用に装備され車長が操作しました。

キャタピラはシングルピン/センターガード式です。
意味はキャタピラの連結に1本のピンを使用しており、キャタピラが転輪から外れない様にキャタピラの内側真ん中に突起が付いている状態を表します。
鋳造製。
ソ連戦車は鋳造パーツが多く、鋳物を溶接して作ったような印象を受けます。

ザラザラした質感の砲塔、こちらも鋳物です。
ちなみにこのスターリン重戦車の弱点は車体前面中央にあるドライバー用のバイザーで、ドイツ軍はここを集中攻撃したそうです。
のちの改良型では前面がさらに傾斜した形状になっており、避弾経始の良好な物になりました。(ちなみに改良型はIS-2m)
しかし、砲塔の形状が悪く、主砲防盾の下に被弾した場合、弾丸が車体天井部(ドライバーの上あたり)へ跳弾して行動不能になる場合があります。
また、主砲弾の搭載数も28発と少なく装填時間も一発10秒ほどかかったそうです。
このスターリン重戦車は独立重戦車旅団へ配備され、
必要に応じソ連軍主力戦車のT34中戦車旅団へ配備され対重戦車戦闘や対防御陣地突破を主任務としました。
用は中戦車じゃ相手出来ないドイツ軍のティーガー重戦車や強力な防衛ライン突破のピンチヒッターと言う事です。
終戦までソ連軍重戦車の主力として活躍しました。
余談ですが満州侵攻時のソ連軍もこのスターリン重戦車を装備しており、日本軍と交戦しています。
火力、装甲ともに日本軍戦車では敵わない相手でした。
今では子供のおもちゃになってます

車体前面下部にある四角い凸凹は予備キャタピラの装着機部になります。戦闘でキャタピラが千切れたり破損した場合は予備キャタピラを使って修復しました。またここは装甲が若干薄いので増加装甲の役目もあったかもしれません。
カメラを向けると嬉しそうにはしゃぎます(笑)

て、感じの戦車が入り口にいきなりあるとは!
まだまだ続くぜ戦車博物館レポート!!
まあ、2年前のレポートを今更と御思いになるかと思いますが、そこは置いといて下さいね。
さて、過去にブログでパンター戦車の記事だけ書きましたが、続編を書く書くと言いながらもずっと放置状態に。
http://campohara.militaryblog.jp/e100417.html
きっかけは最近の友人の一言、『楽しみにしてるんで早く書いて』と背中を押され記事を整理アップする事にしました。
海外の戦車博物館は初体験です、思っていた以上に感動や発見がありました。やはり実際見るのと本で読むのは違います。
この辺の本を参考にネットで調べながら何とか旅してきました。
ほんと現場合わせが多かったです。


オランダ上陸
機甲戦力を手に入れる。
今回の旅では国際免許証を予め日本で発行してもらい、レンタカーを空港で借りました。
こちらがレンタカー、フィアットでした。
カーナビの装備もオプションで付けてもらい、予め調べておいた戦車博物館の住所を入力。
アルファベット入力なので簡単に操作できます。
シンプルなカーナビでしたがまったく問題もなく、使いやすかったです。
深夜に出発し、夜通し走ります。
目的地はオーバールーン戦車博物館、朝日がきれいです。
畑が広がり、朝から収穫のトラクターが動いています、道ばたには収穫物を入れる巨大なコンテナが。
作物は太いネギのような作物でした。当たりにはネギの香りが漂います。
途中にあった道路標識☆
オーバールーンの文字が!!テンション上がります。
そして‥さらに走ると‥
到着!戦車博物館です。
http://www.oorlogsmuseum-overloon.nl/nl/ホームページ
正式名称は「国立オーバールーン歴史博物館」
早く来すぎてまだ開門していません。
しかたなく時間をつぶす事に。
怪しい装甲車発見!
まったく見た事が無い形をしておりどなたか知っていましたら教えて下さい。
警察の暴徒鎮圧車両かな?軍用にはちょっと見えない。
朝から開いている地元のスーパーへ、やはりハムやワインが充実しています。
やっと開門の時間に!!
中に入ります、ワクワク。
入ってすぐに一台の戦車が目に飛び込んで来ます。
IS-2スターリン重戦車です!いきなりソ連戦車とは中々分かっているじゃないかこの博物館。
第二次世界大戦(以後WWⅡ)後半の1944年ウクライナ戦線より投入されたソ連軍重戦車で、主砲には46,3口径1931/37年型122mmA-19砲(後に43年型46,3口径D-25Tに換装)を装備。最大装甲120mm、46t、エンジンは513hpで最高速37km。
1943年12月より量産を開始し、約4000両が生産されました。
ソ連軍にとって脅威だったドイツ軍のティガー重戦車やパンター中戦車の対応策として開発実戦投入されたと聞きます。
重量の割にコンパクトな車体と強力な大口径の主砲は後のソ連製戦車へと受け継がれていきました。
前面から見たスターリン重戦車。主砲の巨大さが分かると同時に車体のコンパクトさに注目
一人分の幅しかありません、中は弾薬、燃料、無線等の装備が詰め込まれており人のスペースは最低限しかありません。
車体下にはドライバー脱出用ハッチが装備されています。
側面の装甲は、ほぼ垂直で正面の約2倍の面積があり装甲は半分、やはりこの戦車を撃破するには側面攻撃が重要です。
後方のエンジンパネルは整備性の高いボルト止めです。後面のボルトを全部外すと変速機やエンジンの交換が可能です。
丸い穴はトランスミッションの点検用。
あと、主砲を前に向けて走るとつんのめるので、戦闘以外の走行時は砲塔を後ろ向きにして走っていました。
その際はトラベリングロックと呼ばれる主砲固定器具で固定するのですが、写真では紛失しており基部後のみ確認出来ます。
丸い点検ハッチの上にある三角形の2つの金属です。ここにトラベリングロックがありました。
あと、牽引用のワイヤーも車体後部に設置されていました。
野外用なので撤去したのか、戦後にくず鉄として持ちさらわれた可能性が高いです。
砲塔後部左側に見える、丸い物は機関銃を装備するポールマウントで、車体後部より近づく歩兵掃射用に装備され車長が操作しました。
キャタピラはシングルピン/センターガード式です。
意味はキャタピラの連結に1本のピンを使用しており、キャタピラが転輪から外れない様にキャタピラの内側真ん中に突起が付いている状態を表します。
鋳造製。
ソ連戦車は鋳造パーツが多く、鋳物を溶接して作ったような印象を受けます。
ザラザラした質感の砲塔、こちらも鋳物です。
ちなみにこのスターリン重戦車の弱点は車体前面中央にあるドライバー用のバイザーで、ドイツ軍はここを集中攻撃したそうです。
のちの改良型では前面がさらに傾斜した形状になっており、避弾経始の良好な物になりました。(ちなみに改良型はIS-2m)
しかし、砲塔の形状が悪く、主砲防盾の下に被弾した場合、弾丸が車体天井部(ドライバーの上あたり)へ跳弾して行動不能になる場合があります。
また、主砲弾の搭載数も28発と少なく装填時間も一発10秒ほどかかったそうです。
このスターリン重戦車は独立重戦車旅団へ配備され、
必要に応じソ連軍主力戦車のT34中戦車旅団へ配備され対重戦車戦闘や対防御陣地突破を主任務としました。
用は中戦車じゃ相手出来ないドイツ軍のティーガー重戦車や強力な防衛ライン突破のピンチヒッターと言う事です。
終戦までソ連軍重戦車の主力として活躍しました。
余談ですが満州侵攻時のソ連軍もこのスターリン重戦車を装備しており、日本軍と交戦しています。
火力、装甲ともに日本軍戦車では敵わない相手でした。
今では子供のおもちゃになってます

車体前面下部にある四角い凸凹は予備キャタピラの装着機部になります。戦闘でキャタピラが千切れたり破損した場合は予備キャタピラを使って修復しました。またここは装甲が若干薄いので増加装甲の役目もあったかもしれません。
カメラを向けると嬉しそうにはしゃぎます(笑)
て、感じの戦車が入り口にいきなりあるとは!
まだまだ続くぜ戦車博物館レポート!!