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Posted by ミリタリーブログ  at 

2013年10月06日

イギリス戦車の旅 第二弾!!

ティーガー戦車を求めて
イギリス、ボービントン
タンクミュージアムへ行ってきた。


ブログをご覧の皆様、こんにちは。
CAMP大原ブログをご覧頂き、ありがとうございます。
今回もサバゲーと関係ない話でごめんなさい。
でも書いちゃいますね☆

前回に引き続き、イギリスはボビントンにあるタンクミュージアムのレポート第二弾をお送りします。まずはこちら、3ポンド払うと兵員輸送車に乗せてもらえるコーナーに行ってきました。毎日やっている訳ではなくらしく、僕が行った時には水曜日(たぶん)に走っていました。特に時間が決まっている訳ではなく、人が来れば走るというシステムでした。


看板。

乗り込み口付近。

ガイドのスタッフさん、走行前に説明をしてくれます。
「スピードが30キロくらい出るから気をつけろ」とか「座席から立ち上がるな」など走行中の注意を教えてくれます。
ヘッドセットが頼もしいスタッフさんでした。

走行中は揺れまくり、こんな感じでした(笑)


さて、本題の戦車の歴史コーナーへ移りたいと思います。
第一弾では第一次世界大戦で戦車が登場し、大戦間で技術の向上と共に戦車の性能も飛躍的に向上した事をお伝えしました。
今回の第二弾では第二次世界大戦の勃発で、ドイツ軍が戦車を主体とした新しい戦術「電撃作戦」を展開し初戦でポーランドやフランス軍を圧倒します。そして各国での戦車の基本的な運用方法が確立し、激しい開発競争が行われ実用化された戦車は実戦に投入されていきました。

ドイツ軍
【Ⅱ号戦車】
ドイツ軍の初戦での快進撃を支えた軽戦車で、主砲の20mm機関砲は徹甲弾と榴弾を発射できましたが対戦車能力は高くありませんでした。
3名の乗員が乗り込み、ポーランド戦からバルバロッサ作戦初期まで使用されました。
主力である3号戦車や4号戦車の数が揃うまでの繋として使用され、電撃戦の成功に貢献しています。
途中から、対戦車砲や榴弾砲を搭載した自走砲のベースとなり終戦まで使用されました。



イギリス軍
【軽戦車 Mk.Ⅵ B】
こちらは大戦勃発の危機感から比較的大量に生産された(約1400両)偵察目的の軽戦車で、大戦勃発後は巡航戦車の不足を補うべく機甲部隊へ配備されました。
武装は12,7mm機関銃と7,7mm機関銃。


フランス軍
【シャールB1重戦車】
大戦間に開発された重戦車で砲塔には47mm砲を搭載し車体には75mm砲を搭載していました。
装甲も強力で初期のドイツ軍の戦車砲や対戦車砲を寄せ付けないほどでした。しかし、フランス戦ではドイツ軍の空陸一体となった電撃戦の前に各個撃破されてしまい本来の力を発揮できずに終わります。
フランス戦で捕獲された本車はドイツ軍によって使用され、火炎放射戦車や自走砲のベースとして利用されました。



ドイツ軍
「パンター戦車G型」
第二次世界大戦最優秀戦車として名高いパンター戦車は、ソ連が前線へ投入したT34戦車に対抗すべく開発された戦車で、全面的に傾斜装甲を取り入れており、それまでの垂直な装甲板で構成されているドイツ戦車とは一線を画しています。
そして攻撃力、防御力、機動力のバランスが良好で、主砲の70口径75mm砲は当時の連合軍戦車をアウトレンジで撃破できる性能を備えていました。しかしデビュー戦である「クルスクの戦い」では早期投入による機械的なトラブルや乗員の訓練不足などがたたって活躍できませんでした。
その後は徐々に改良が施され、東部戦線や西戦線で連合軍に対し常に性能的な優位性をドイツ軍に与え続けました。
しかし、制空権の欠如や燃料や弾薬の不足、連合軍(主にアメリカやソ連軍)の物量作戦の前に徐々に消耗していったのです。




ソ連軍
【T34/85】
モスクワ前面でドイツ軍の攻勢を頓挫させ、救国の戦車と呼ばれた本車は、初期においては76mm砲を搭載していましたがドイツ軍のティーガー重戦車やパンター中戦車の登場により苦戦を強いられます。本車は85mm砲を搭載し対戦車能力を向上させた改良型で、砲塔の大型化に伴い乗員も1名増えて計5名になっています。傾斜した装甲は弾丸を弾き返し易く、こういった設計を避弾径始(ひだんけいし)と呼びます。強力で燃えにくいディーゼルエンジンを搭載し、幅の広いキャタピラで接地圧を低く押さえ悪路での走行性能もドイツ軍の物よりはるかに良好でした。対峙したドイツ軍は、それまでの経験から戦車の運用や性能に相当な自信を持っており本車の登場は「T34ショック」と呼ばれる現象を巻き起こすほど衝撃的な出来事だったのです。この言葉は戦車開発史の中で、かならず出てきます。



そして、、、ついに発見!!!



詳しくは第三弾へ!!!  


Posted by CAMP大原管理人  at 16:31Comments(0)戦車レポート

2013年10月03日

イギリス戦車の旅

ブログをご覧のみなさま!!
お久しぶりです、クマーンです。

ほんっとに久々の更新でございます。
(えー、今回はですねフィールドの事ではないのですが、、、、すいません。)

さて今回は、僕のライフワークである
【世界の戦車博物館巡り】

のレポートです!!


ドイツ軍のティーガー戦車を求めてイギリスはボービントンのタンクミュージアムへ行って参りました。


今回訪問したタンクミュージアムのホームページです。
http://www.tankmuseum.org

ボービントンにあるタンクミュージアムは世界でも五本の指に入る(と僕は思っている)戦車博物館で、展示車両の数や保存状態等は驚くほどレベルが高く見た者を圧倒します。
場所はロンドンから少し離れた所にあり、電車やバスの利用も必要な為、念入りな下準備のもと行って参りました。

こちらの博物館以外にもスケジュールがあった為、まずロンドンからエクセターへ特急で移動し、エクセターからライムリジェス(ライムリージス)へ更に移動、宿泊し、Wool駅までX53バスで移動しました
ちなみにロンドンから直接行く場合、約3時間ほどかかるそうです。
Wool駅からシャトルバスが出ており、こちらで博物館まで移動できます(こちらは有料で1ポンドか1、5ポンド)。
(※旅行時のレートで1ポンドが約156円)
駅から歩いても博物館までは約15分程度です。



バス停で一緒だった彼、、、話してみると、、、、
偶然にも戦車博物館で働く職員さんでした。
軍人では無いらしく、携帯電話で自分の働いている画像を見せてもらいました。
(名前はルイさんと言います)
そしてルイさんが「せっかく来てくれたのだから」と、なんと僕の分までバス代を払ってくれました!!本当に、ありがとうございました。

wool駅で待つ事30分、バスが予定よりも大幅に遅れて到着(イギリスでは良くある事)。

そして、約5分ほど走ると、、、、。
看板が!!

チャレンジャーが!!


そしてイギリス軍が!!博物館の隣にはイギリス軍の駐屯地が併設しており、堂々と装甲車両が走り回っていました。

そして、いよいよ念願のタンクミュージアムへ!!!
この辺りでもうテンションが上がりすぎて大変でした(笑)

入場料は12,5ポンドで、受付のスタッフに「明日もまた来る予定だ」と伝えると、「チケットを見せれば明日は無料で入れる」と教えられさらにテンションが上がります。受付では荷物を預かってくれるので、遠慮なくトランクを預けました。

受付

入り口付近

ダヴィンチのデザインした戦車の模型。

案内板


そして、、、、!




この辺りで、テンションが上がりすぎてカメラの設定をミスったり、手ブレしたりと大変でした(笑)






この辺りから歴史的な第一次世界大戦で登場したタンク達が並びます。
ソンムの戦いでデビューした新兵器でしたが、当初は装甲も薄く、スピードも歩行者と同じ程度でした。
車体の中には8名〜10名程度の乗員が乗り込みました、そしてエンジンは車体のど真ん中にあり騒音や熱気に晒される苦しい環境だったのです。有毒ガスの感知の為、鳥籠を持ち込んだエピソードもあり「鳥が生きている間は大丈夫」という訳だったのです。
当時の戦車生産も工場に据え付けられた車体に労働者が群がり、手作業で戦車を完成させていました。

世界で初めて実戦投入された「マークⅣ戦車」。
重量は30トン近くあり、エンジンんもまだまだ非力だったので時速4〜6キロ程度しか出せず。
装甲もドイツ軍のライフル弾で貫通されてしまう程度でした。
しかし、新兵器としてとして投入された本戦車はドイツ兵をパニックに陥れました。



「兵員物資輸送者マークⅨ」
装甲兵員輸送車の元祖となった車両で内部には貨物室が設けられ、兵員30名か物資10トンを輸送する能力を持っていました。


そして、こちらが戦車の歴史展示室。
戦車という工業製品が兵器として戦場に姿を現した瞬間から現代までの戦車の歴史が分かるように展示されています。




すべての戦車の歴史はこの一台から始まった。
記念すべき試作車両「リトル・ウィリー」


現代の戦車のレイアウトの基礎を築いた「ルノーFT 17」
360°回転する砲塔を備え、車体後方にエンジンを配置するレイアウトは現代の戦車にも受け継がれています。


戦車の速度が時速4キロ程度しか発揮できなかった時代に、時速12キロの快速を発揮した「ホイペット」。
追撃戦等で威力を発揮しました。


大戦間にイギリスが開発し、戦車のイメージを一新した「ビッカース中戦車」。
走行装置の改良で速度は時速30キロ近くまで向上しました。
これらのビッカース戦車のシリーズは一部日本へも輸出され、帝国陸軍の戦車部隊の育成にも大きな影響を与えたのです。
余談だが上記の「ホイペット」「ルノーFT」「マークⅣ」は帝国陸軍が研究用に購入しており、「ルノーFT」は満州事変にも出動しています。


「ビッカース6トン軽戦車B型」
機関銃を搭載した軽戦車で他にも47mm砲搭載型や砲塔を二つ搭載したモデルもありました。
この辺りにくると戦車としての外観は完成しつつあり、用兵思想の進化や新しい戦車戦術に沿って作戦行動が可能な性能を持った戦車の登場が望まれていたのです。



第二弾へと続く、、、!!
  


Posted by CAMP大原管理人  at 00:33Comments(2)戦車レポート