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Posted by ミリタリーブログ  at 

2013年10月06日

イギリス戦車の旅 第二弾!!

ティーガー戦車を求めて
イギリス、ボービントン
タンクミュージアムへ行ってきた。


ブログをご覧の皆様、こんにちは。
CAMP大原ブログをご覧頂き、ありがとうございます。
今回もサバゲーと関係ない話でごめんなさい。
でも書いちゃいますね☆

前回に引き続き、イギリスはボビントンにあるタンクミュージアムのレポート第二弾をお送りします。まずはこちら、3ポンド払うと兵員輸送車に乗せてもらえるコーナーに行ってきました。毎日やっている訳ではなくらしく、僕が行った時には水曜日(たぶん)に走っていました。特に時間が決まっている訳ではなく、人が来れば走るというシステムでした。


看板。

乗り込み口付近。

ガイドのスタッフさん、走行前に説明をしてくれます。
「スピードが30キロくらい出るから気をつけろ」とか「座席から立ち上がるな」など走行中の注意を教えてくれます。
ヘッドセットが頼もしいスタッフさんでした。

走行中は揺れまくり、こんな感じでした(笑)


さて、本題の戦車の歴史コーナーへ移りたいと思います。
第一弾では第一次世界大戦で戦車が登場し、大戦間で技術の向上と共に戦車の性能も飛躍的に向上した事をお伝えしました。
今回の第二弾では第二次世界大戦の勃発で、ドイツ軍が戦車を主体とした新しい戦術「電撃作戦」を展開し初戦でポーランドやフランス軍を圧倒します。そして各国での戦車の基本的な運用方法が確立し、激しい開発競争が行われ実用化された戦車は実戦に投入されていきました。

ドイツ軍
【Ⅱ号戦車】
ドイツ軍の初戦での快進撃を支えた軽戦車で、主砲の20mm機関砲は徹甲弾と榴弾を発射できましたが対戦車能力は高くありませんでした。
3名の乗員が乗り込み、ポーランド戦からバルバロッサ作戦初期まで使用されました。
主力である3号戦車や4号戦車の数が揃うまでの繋として使用され、電撃戦の成功に貢献しています。
途中から、対戦車砲や榴弾砲を搭載した自走砲のベースとなり終戦まで使用されました。



イギリス軍
【軽戦車 Mk.Ⅵ B】
こちらは大戦勃発の危機感から比較的大量に生産された(約1400両)偵察目的の軽戦車で、大戦勃発後は巡航戦車の不足を補うべく機甲部隊へ配備されました。
武装は12,7mm機関銃と7,7mm機関銃。


フランス軍
【シャールB1重戦車】
大戦間に開発された重戦車で砲塔には47mm砲を搭載し車体には75mm砲を搭載していました。
装甲も強力で初期のドイツ軍の戦車砲や対戦車砲を寄せ付けないほどでした。しかし、フランス戦ではドイツ軍の空陸一体となった電撃戦の前に各個撃破されてしまい本来の力を発揮できずに終わります。
フランス戦で捕獲された本車はドイツ軍によって使用され、火炎放射戦車や自走砲のベースとして利用されました。



ドイツ軍
「パンター戦車G型」
第二次世界大戦最優秀戦車として名高いパンター戦車は、ソ連が前線へ投入したT34戦車に対抗すべく開発された戦車で、全面的に傾斜装甲を取り入れており、それまでの垂直な装甲板で構成されているドイツ戦車とは一線を画しています。
そして攻撃力、防御力、機動力のバランスが良好で、主砲の70口径75mm砲は当時の連合軍戦車をアウトレンジで撃破できる性能を備えていました。しかしデビュー戦である「クルスクの戦い」では早期投入による機械的なトラブルや乗員の訓練不足などがたたって活躍できませんでした。
その後は徐々に改良が施され、東部戦線や西戦線で連合軍に対し常に性能的な優位性をドイツ軍に与え続けました。
しかし、制空権の欠如や燃料や弾薬の不足、連合軍(主にアメリカやソ連軍)の物量作戦の前に徐々に消耗していったのです。




ソ連軍
【T34/85】
モスクワ前面でドイツ軍の攻勢を頓挫させ、救国の戦車と呼ばれた本車は、初期においては76mm砲を搭載していましたがドイツ軍のティーガー重戦車やパンター中戦車の登場により苦戦を強いられます。本車は85mm砲を搭載し対戦車能力を向上させた改良型で、砲塔の大型化に伴い乗員も1名増えて計5名になっています。傾斜した装甲は弾丸を弾き返し易く、こういった設計を避弾径始(ひだんけいし)と呼びます。強力で燃えにくいディーゼルエンジンを搭載し、幅の広いキャタピラで接地圧を低く押さえ悪路での走行性能もドイツ軍の物よりはるかに良好でした。対峙したドイツ軍は、それまでの経験から戦車の運用や性能に相当な自信を持っており本車の登場は「T34ショック」と呼ばれる現象を巻き起こすほど衝撃的な出来事だったのです。この言葉は戦車開発史の中で、かならず出てきます。



そして、、、ついに発見!!!



詳しくは第三弾へ!!!  


Posted by CAMP大原管理人  at 16:31Comments(0)戦車レポート

2013年10月03日

イギリス戦車の旅

ブログをご覧のみなさま!!
お久しぶりです、クマーンです。

ほんっとに久々の更新でございます。
(えー、今回はですねフィールドの事ではないのですが、、、、すいません。)

さて今回は、僕のライフワークである
【世界の戦車博物館巡り】

のレポートです!!


ドイツ軍のティーガー戦車を求めてイギリスはボービントンのタンクミュージアムへ行って参りました。


今回訪問したタンクミュージアムのホームページです。
http://www.tankmuseum.org

ボービントンにあるタンクミュージアムは世界でも五本の指に入る(と僕は思っている)戦車博物館で、展示車両の数や保存状態等は驚くほどレベルが高く見た者を圧倒します。
場所はロンドンから少し離れた所にあり、電車やバスの利用も必要な為、念入りな下準備のもと行って参りました。

こちらの博物館以外にもスケジュールがあった為、まずロンドンからエクセターへ特急で移動し、エクセターからライムリジェス(ライムリージス)へ更に移動、宿泊し、Wool駅までX53バスで移動しました
ちなみにロンドンから直接行く場合、約3時間ほどかかるそうです。
Wool駅からシャトルバスが出ており、こちらで博物館まで移動できます(こちらは有料で1ポンドか1、5ポンド)。
(※旅行時のレートで1ポンドが約156円)
駅から歩いても博物館までは約15分程度です。



バス停で一緒だった彼、、、話してみると、、、、
偶然にも戦車博物館で働く職員さんでした。
軍人では無いらしく、携帯電話で自分の働いている画像を見せてもらいました。
(名前はルイさんと言います)
そしてルイさんが「せっかく来てくれたのだから」と、なんと僕の分までバス代を払ってくれました!!本当に、ありがとうございました。

wool駅で待つ事30分、バスが予定よりも大幅に遅れて到着(イギリスでは良くある事)。

そして、約5分ほど走ると、、、、。
看板が!!

チャレンジャーが!!


そしてイギリス軍が!!博物館の隣にはイギリス軍の駐屯地が併設しており、堂々と装甲車両が走り回っていました。

そして、いよいよ念願のタンクミュージアムへ!!!
この辺りでもうテンションが上がりすぎて大変でした(笑)

入場料は12,5ポンドで、受付のスタッフに「明日もまた来る予定だ」と伝えると、「チケットを見せれば明日は無料で入れる」と教えられさらにテンションが上がります。受付では荷物を預かってくれるので、遠慮なくトランクを預けました。

受付

入り口付近

ダヴィンチのデザインした戦車の模型。

案内板


そして、、、、!




この辺りで、テンションが上がりすぎてカメラの設定をミスったり、手ブレしたりと大変でした(笑)






この辺りから歴史的な第一次世界大戦で登場したタンク達が並びます。
ソンムの戦いでデビューした新兵器でしたが、当初は装甲も薄く、スピードも歩行者と同じ程度でした。
車体の中には8名〜10名程度の乗員が乗り込みました、そしてエンジンは車体のど真ん中にあり騒音や熱気に晒される苦しい環境だったのです。有毒ガスの感知の為、鳥籠を持ち込んだエピソードもあり「鳥が生きている間は大丈夫」という訳だったのです。
当時の戦車生産も工場に据え付けられた車体に労働者が群がり、手作業で戦車を完成させていました。

世界で初めて実戦投入された「マークⅣ戦車」。
重量は30トン近くあり、エンジンんもまだまだ非力だったので時速4〜6キロ程度しか出せず。
装甲もドイツ軍のライフル弾で貫通されてしまう程度でした。
しかし、新兵器としてとして投入された本戦車はドイツ兵をパニックに陥れました。



「兵員物資輸送者マークⅨ」
装甲兵員輸送車の元祖となった車両で内部には貨物室が設けられ、兵員30名か物資10トンを輸送する能力を持っていました。


そして、こちらが戦車の歴史展示室。
戦車という工業製品が兵器として戦場に姿を現した瞬間から現代までの戦車の歴史が分かるように展示されています。




すべての戦車の歴史はこの一台から始まった。
記念すべき試作車両「リトル・ウィリー」


現代の戦車のレイアウトの基礎を築いた「ルノーFT 17」
360°回転する砲塔を備え、車体後方にエンジンを配置するレイアウトは現代の戦車にも受け継がれています。


戦車の速度が時速4キロ程度しか発揮できなかった時代に、時速12キロの快速を発揮した「ホイペット」。
追撃戦等で威力を発揮しました。


大戦間にイギリスが開発し、戦車のイメージを一新した「ビッカース中戦車」。
走行装置の改良で速度は時速30キロ近くまで向上しました。
これらのビッカース戦車のシリーズは一部日本へも輸出され、帝国陸軍の戦車部隊の育成にも大きな影響を与えたのです。
余談だが上記の「ホイペット」「ルノーFT」「マークⅣ」は帝国陸軍が研究用に購入しており、「ルノーFT」は満州事変にも出動しています。


「ビッカース6トン軽戦車B型」
機関銃を搭載した軽戦車で他にも47mm砲搭載型や砲塔を二つ搭載したモデルもありました。
この辺りにくると戦車としての外観は完成しつつあり、用兵思想の進化や新しい戦車戦術に沿って作戦行動が可能な性能を持った戦車の登場が望まれていたのです。



第二弾へと続く、、、!!
  


Posted by CAMP大原管理人  at 00:33Comments(2)戦車レポート

2011年07月19日

マーケット・ガーデン作戦 戦跡を歩く③

みなさん、こんにちは。

くまーんが歩いた戦跡めぐりレポート第三弾!

ドイツ軍ファンのみなさんお待たせしましたああああ!

ついに88mmやヘッツァーが登場します。

前回レポ
http://campohara.militaryblog.jp/e223670.html
http://campohara.militaryblog.jp/e223767.html

さて、ブログをご覧のみなさんこんにちは。

CAMP大原管理人のくまーんです、今回のブログは
「ズバリ!戦車と戦跡巡り!!」

前回は博物館の入り口付近にある戦車や火砲のレポートをお届けしましたが、今回はさらに油臭い、鉄臭い、戦車と火砲の世界をレポートします。

で、ちょっとおさらい。

今回のブログは、2009年にオランダのオーバールーン戦車博物館を訪れた記録とマーケット・ガーデン作戦の戦跡を歩いた記録をレポートします。
詳しくは前レポをご覧下さい。

あらかじめお断りしておきますが、現用装備は一切出てきません!
現用装備の好きな皆さん、ごめんなさいm(-_-)m スマヌ

でも、ちょっと興味があれば見てください。

60年前の戦車や装備も棄てがたいですよ(=v=)ムフフ♪

そして海外にはこんなに充実した博物館があるのです!
行ってみたいなクビンカ、アバティーン、スミソニアン、ボーヴィントン。

では、第三弾スタート〜!!



さて、本命の戦車達の前に博物館の案内をちょっと入れます。

奥に進むと第二次世界大戦の流れを知る事が出来るパネルやスライドショーが。
博物館の雰囲気はとても良く、清潔感がありました。
展示されているパネルやポスター類やオブジェも大変きれいに展示されていました。


写真左から:①スライドショー。凝った展示方法がされており、輸送機の胴体のような作り物の中に入り、音声説明を受けます(エンジン音と爆音も有)そしてハッチから外に出ると自分を囲むようにスクリーンが設置されており、迫力のある映像体験ができます。映像の中身よりも演出方法の方が記憶に残りました。


②アメリカ軍機の識別表。ドイツ軍で使用されていた機種識別教育用のポスターになります、パイロットがどの機種を発見、攻撃、撃墜したかを正確に把握するための物です。機種を見てみるとアメリカ陸軍の爆撃機(B17,B25,B24,B26等やイギリス空軍のアブロランカスター)が見えます。こういった機種識別表は世界各国でしようされていました。こぼれ話ですが、日本海軍の基地格納庫には実物大のアメリカ軍機がペンキで描かれており、戦闘機搭乗員に空中戦の際の距離感を養う配慮がなされていました。(日本海軍航空隊戦場写真集:177番の写真参考 定価:2000円)

③風刺画ポスター。アメリカやイギリスが敵国扱いされているので枢軸国側のポスターですね。

④展示パネル。スターリングラード戦の様子が展示されていました。ドイツ第6軍の降伏シーンの写真は有名ですね。フォン・パウルス将軍の写真が‥

なぞの給水車?

消防団用の給水車両でしょうか?詳しい知識をお持ちの方がいましたら教えて下さい‥(m。_。)m オネガイシマス

博物館の様子写真


見学途中で発見したマネキンのクオリティの高さに驚く。


小物から装備全般までおそらく全て本物です、ビックリしたので写真に納めました。
装備の解説は割愛させていただきます(歩兵の装備解説は機会があれば次回に)。

7,5cmPak40
歴史展示コースのラストに設置されていたドイツ軍の対戦者砲。
4号戦車を始めドイツ軍のあらゆる車両に搭載された48口径75mm砲です。



ふ〜 さてさて、博物館もそろそろ終了‥



と思いきや‥


売店の横にはさらに奥に進む通路が‥


そこを進むと‥


ジャジャーン!!



次回へつづく
  


Posted by CAMP大原管理人  at 20:15Comments(0)戦車レポート

2011年05月31日

マーケット・ガーデン作戦 戦跡を歩く②

マーケット・ガーデン作戦 戦跡を歩く②

博物館入場!
CAMP大原日誌をご覧のみなさん、こんにちは。そして見て頂いてありがとうございます。

管理人くまーんが2009年11月にオランダで戦跡巡りと戦車博物館見学をしてきた報告レポートです。
せっかくの貴重な体験なので頑張って整理してアップしていきます。

現用物が好きな方々、すんません。
現用装備は一切でてきませんので予め御伝えします‥m( ̄ー ̄)m ゴメン

今回はレポート第二弾になります。
前回レポートはこちら。
http://campohara.militaryblog.jp/e223670.html


では第二弾スタートでーす(*´∇`*)


さて、やっと入場出来てワクワクです。
入ってすぐに展示されていたスターリン重戦車に感動しつつ先に進みます。

今回のレポートは戦車を中心に話を進めて行きたいと思っています。

スターリン重戦車の脇には火砲やトーチカも展示されていましたが、今回解説は割愛させていただきます。
写真だけ掲載


さて、博物館の正面玄関へ到着


入ってすぐのロビー

おしゃれなカフェも併設されています。
料金は13歳以上は€13.00、4歳から12歳は€ 9,00でした


やっと見れたパンター戦車。

詳しい解説は過去のブログにあります。
http://campohara.militaryblog.jp/e100417.html

そして奥に進むとさらに戦車が


まずは、入り口付近の展示車両の写真と解説を


イギリス軍戦車
チャーチル Mk.VIII: 全長7.44m全幅3.48m全高2.74m装甲16〜152mm武装95mm榴弾砲×1 7.92mm機銃×2 重量41t エンジン水平対向水冷12気筒350hp最高速度20.4km/h 航続距離161km 乗員5名
こちらはチャーチル戦車の派生型で95mm榴弾砲を搭載した近接支援戦車。
最後の歩兵戦車:チャーチル歩兵戦車
クラシックな印象を受ける外観。この砲塔は派生型で通常は75mm砲を搭載している。

戦車は元々、第一次世界大戦時に歩兵の脅威となる機関銃座を破壊し歩兵とともに前進しながら敵の戦線を突破する事を目的に開発させた兵器です。しかし、敵対する相手国(ドイツ)も同じ様に戦車を開発、生産し戦場に送り出すようになってくると戦車同士の戦いも発生しはじめました。その結果、対戦車戦闘に特化したした戦車が開発され始め、現在ではこちらが主流になっています。
チャーチル歩兵戦車は名の通り、古いコンセプトで作られた最後の戦車で歩兵と共に前進し、歩兵の障害となる陣地やバリケードを破壊しながら前進する戦車です。現在ではこのような歩兵支援は基本的に戦車は行わず歩兵戦闘車と呼ばれる車種が担当しています(例:M2ブラッドレー、89式装甲戦闘車、BMP-3)
ちなみに先ほど紹介したパンター戦車は対戦車戦闘に特化した戦車であり、高初速の対戦車砲を主砲に持ち、高い機動力を発揮出来るように設計された戦車です。チャーチル歩兵戦車とは真逆の設計思想を持った戦車なので比較するのも面白いかもしれません。


巡航戦車クロムウェル
全長6.35m全幅2.91m全高2.49m装甲10〜101mm武装75mm砲×1 7.92mm機銃×2 重量27.9t エンジン600hp水冷V-12ガソリン 最高速度52km/h 航続距離265km 乗員5名
巡航戦車とは
WWⅡ以前のイギリス軍では巡航戦車と歩兵戦車の二つに区分されていました。
巡航戦車は追撃戦や長距離偵察を任務として機動性に重点を置いて設計されており、上記の歩兵戦車と任務を分担して運用される計画でした。しかし、いざ戦争が始まると予定通りには行かずにドイツ戦車相手に苦戦を強いられました。
エンジンは強力でスピードも速く故障の少ない戦車で、約3000両が生産され主にヨーロッパ戦線で使用されました。

画像ではサスペンションが下がっており、通常の状態よりも車高は低くなっていました。
なぜかこちらの博物館の戦車はサスペンションや転輪が欠損しており『??』と思わせます。地雷で損傷したり、戦闘で破損した物をレストアして展示しているのでしょう。
写真右:砲塔の側面には薬莢棄て用のハッチが。



アメリカ軍戦車
M4シャーマン
全長7.7m(車体長)6.27m全幅2.67m全高3.43m装甲38〜76mm武装75mm砲×1 7.92mmM1919A4機銃×2 12.7mm M2重機関銃 重量32.3t エンジン フォード水冷V型8気筒500hp/2600rpm 最高速度48km/h 航続距離161km 乗員5名

アメリカ工業力の底力
1942年のアフリカ戦線 エル・アラメイン戦で初めて実戦投入されたアメリカ製中戦車です。
本来は歩兵支援の為に開発された戦車で歩兵の障害を吹き飛ばす事が主任務です。
アメリカはWWⅡで本戦車を4万両以上生産し、同盟国であるソ連軍、イギリス軍、中国軍へ大量に供与しました。
生産性、整備性に優れ使い勝手も良いとう三拍子そろった戦車でした。
ノルマンディーへ上陸した連合軍も当然ながら、M4シャーマンを主力戦車として装備しており敵国であるドイツ軍戦車とヨーロッパ戦線で対峙します。
しかし‥。
対戦車戦闘に特化したドイツ軍戦車(パンター戦車、ティガー戦車、4号戦車等)と対峙した場合、歩兵支援戦車であるM4シャーマンの主砲(75mm砲、榴弾は威力が大きいが装甲貫通力に劣る)では威力不足で苦戦を強いられる結果に。
あまりにもポコポコやられてしまうので、さすがに焦ったアメリカ軍も砲身長が長い76mm砲装備の新型砲塔を生産し、前線へ送り込みます。ガソリンエンジンを搭載しているのもあって弾を喰らうとよく燃えたそうです。


なんか弱い戦車じゃん‥


なんて御思いかもしれませんが、この戦車の良い所はすべての部隊へ行き渡るだけの数があり、故障が少ない事なのです。
ドイツ軍の戦車なんてM4に比べたら物の数ではありませんでした。
パンター戦車は一部の部隊だけで、ティーガー戦車なんて滅多に出会いません。ほとんどは、ほぼ互角の力を持つ4号戦車か自走砲なのですから。
しかも整備をマニュアル化し部品も大量に供給していました、おかげで稼働率も高く常に戦車不足に悩まされ、供給される燃料も不足気味で故障も多く、稼働率の低いドイツ軍戦車部隊とは対照的です。
性能で劣っていても強力な空軍と、圧倒的な物量で結果的にドイツ軍を圧倒しました。
アメリカ軍の今日に至る戦争スタイルはこのころに完成してたのかもしれません。

大量に生産された為、戦後も各国で使用され朝鮮戦争や中東戦争でも活躍し、自衛隊にも改良型のM4A3E8が供与され、初期の自衛隊の機甲戦力を支えました(戦後初の国産戦車61式が配備されると順次退役)。

ヨーロッパ戦線では苦戦した本車も太平洋戦線では、無敵状態でM4シャーマンを打ち負かせる戦車は存在しませんでした。
しかし、日本軍も弱点射撃(主砲やキャタピラや装甲の薄い部分を狙い撃つ戦法)で対抗し少なくない数のM4シャーマンが撃破されました。しかし一番の強敵は戦車ではなく日本軍歩兵の肉弾攻撃でした。

シャーマンクラブ

チャーン付きのドラムを回し地面を叩いて地雷を処理する地雷処理戦車。

こちらのシャーマンは砲塔基部に一発喰らっており砲塔がズレた状態になっています。
戦車は搭載燃料や弾薬に誘爆した場合、砲塔が吹き飛んだり車体がバラバラになったりします。


全体的に写真のピントが甘くてすいませんでしたヾ(_ _*)ハンセイ・・・


パンター戦車をべたべた触っていると、中学生?の社会見学の一行が‥
ちょっと恥ずかしかったです。
このパンター戦車、かなり気合いの入ったペイントが施されていました。

博物館の展示品。

写真3枚目:PIAT
こちらはイギリス軍の携帯対戦車火器で口径75mmのロケット弾を発射します。
発射方式は本体内部のスプリングでロケット弾を発火させて撃ち出しました。
有効射程100mで装甲貫通力は75mmでした。

下を向けるとロケット弾が滑り落ちるのが構造上の欠点で、スプリングのコッキングも90kgと重く大変で、身長が低い兵士の場合、コッキングに失敗すると顔を強打する危険があり身長168cm以下の兵士には注意が必要でした。
アメリカ製バズーカが供与されはじめると、順次置き換えられていきました。

野砲たち
ドイツ軍105mm軽榴弾砲


ソ連製戦車へ直接照準で射撃し、撃破した戦果があります。
ドイツ軍の標準的な軽野砲です。
バンド・オブ・ブラザーズにも登場したマズルブレーキ装備の改良型。
映画の中では手榴弾で破壊されていましたね。



イギリス軍25ポンド野砲


イギリス軍のもっとも有名な野砲で口径は88mm、イギリス版「アハト・アハト」で徹甲弾も発射可能なタンク・キラーです。




んーやっぱり内容が濃い博物館ですね。なかなか楽しませてくれます。

しかし、まだまだ続きます戦車レポートと戦跡めぐり。

読んでくれた、みなさんありがとうございました。

次回をお楽しみに!

  


Posted by CAMP大原管理人  at 23:11Comments(0)戦車レポート

2011年05月25日

マーケット・ガーデン作戦 戦跡を歩く

マーケット・ガーデン作戦 戦跡を歩く
ずっとあこがれていた戦跡巡りに2009年11月行ってきました。そのレポートです。
まあ、2年前のレポートを今更と御思いになるかと思いますが、そこは置いといて下さいね。

さて、過去にブログでパンター戦車の記事だけ書きましたが、続編を書く書くと言いながらもずっと放置状態に。
http://campohara.militaryblog.jp/e100417.html
きっかけは最近の友人の一言、『楽しみにしてるんで早く書いて』と背中を押され記事を整理アップする事にしました。
海外の戦車博物館は初体験です、思っていた以上に感動や発見がありました。やはり実際見るのと本で読むのは違います。

この辺の本を参考にネットで調べながら何とか旅してきました。
ほんと現場合わせが多かったです。


オランダ上陸
機甲戦力を手に入れる。
今回の旅では国際免許証を予め日本で発行してもらい、レンタカーを空港で借りました。
こちらがレンタカー、フィアットでした。

カーナビの装備もオプションで付けてもらい、予め調べておいた戦車博物館の住所を入力。
アルファベット入力なので簡単に操作できます。
シンプルなカーナビでしたがまったく問題もなく、使いやすかったです。


深夜に出発し、夜通し走ります。
目的地はオーバールーン戦車博物館、朝日がきれいです。
畑が広がり、朝から収穫のトラクターが動いています、道ばたには収穫物を入れる巨大なコンテナが。
作物は太いネギのような作物でした。当たりにはネギの香りが漂います。

途中にあった道路標識☆
オーバールーンの文字が!!テンション上がります。




そして‥さらに走ると‥



到着!戦車博物館です。
http://www.oorlogsmuseum-overloon.nl/nl/ホームページ

正式名称は「国立オーバールーン歴史博物館」
早く来すぎてまだ開門していません。
しかたなく時間をつぶす事に。


怪しい装甲車発見!
まったく見た事が無い形をしておりどなたか知っていましたら教えて下さい。
警察の暴徒鎮圧車両かな?軍用にはちょっと見えない。




朝から開いている地元のスーパーへ、やはりハムやワインが充実しています。



やっと開門の時間に!!


中に入ります、ワクワク。


入ってすぐに一台の戦車が目に飛び込んで来ます。
IS-2スターリン重戦車です!いきなりソ連戦車とは中々分かっているじゃないかこの博物館。
第二次世界大戦(以後WWⅡ)後半の1944年ウクライナ戦線より投入されたソ連軍重戦車で、主砲には46,3口径1931/37年型122mmA-19砲(後に43年型46,3口径D-25Tに換装)を装備。最大装甲120mm、46t、エンジンは513hpで最高速37km。
1943年12月より量産を開始し、約4000両が生産されました。
ソ連軍にとって脅威だったドイツ軍のティガー重戦車やパンター中戦車の対応策として開発実戦投入されたと聞きます。
重量の割にコンパクトな車体と強力な大口径の主砲は後のソ連製戦車へと受け継がれていきました。



前面から見たスターリン重戦車。主砲の巨大さが分かると同時に車体のコンパクトさに注目
一人分の幅しかありません、中は弾薬、燃料、無線等の装備が詰め込まれており人のスペースは最低限しかありません。
車体下にはドライバー脱出用ハッチが装備されています。


側面の装甲は、ほぼ垂直で正面の約2倍の面積があり装甲は半分、やはりこの戦車を撃破するには側面攻撃が重要です。


後方のエンジンパネルは整備性の高いボルト止めです。後面のボルトを全部外すと変速機やエンジンの交換が可能です。
丸い穴はトランスミッションの点検用。
あと、主砲を前に向けて走るとつんのめるので、戦闘以外の走行時は砲塔を後ろ向きにして走っていました。
その際はトラベリングロックと呼ばれる主砲固定器具で固定するのですが、写真では紛失しており基部後のみ確認出来ます。
丸い点検ハッチの上にある三角形の2つの金属です。ここにトラベリングロックがありました。
あと、牽引用のワイヤーも車体後部に設置されていました。
野外用なので撤去したのか、戦後にくず鉄として持ちさらわれた可能性が高いです。
砲塔後部左側に見える、丸い物は機関銃を装備するポールマウントで、車体後部より近づく歩兵掃射用に装備され車長が操作しました。


キャタピラはシングルピン/センターガード式です。
意味はキャタピラの連結に1本のピンを使用しており、キャタピラが転輪から外れない様にキャタピラの内側真ん中に突起が付いている状態を表します。
鋳造製。
ソ連戦車は鋳造パーツが多く、鋳物を溶接して作ったような印象を受けます。

ザラザラした質感の砲塔、こちらも鋳物です。

ちなみにこのスターリン重戦車の弱点は車体前面中央にあるドライバー用のバイザーで、ドイツ軍はここを集中攻撃したそうです。
のちの改良型では前面がさらに傾斜した形状になっており、避弾経始の良好な物になりました。(ちなみに改良型はIS-2m)
しかし、砲塔の形状が悪く、主砲防盾の下に被弾した場合、弾丸が車体天井部(ドライバーの上あたり)へ跳弾して行動不能になる場合があります。
また、主砲弾の搭載数も28発と少なく装填時間も一発10秒ほどかかったそうです。
このスターリン重戦車は独立重戦車旅団へ配備され、
必要に応じソ連軍主力戦車のT34中戦車旅団へ配備され対重戦車戦闘や対防御陣地突破を主任務としました。
用は中戦車じゃ相手出来ないドイツ軍のティーガー重戦車や強力な防衛ライン突破のピンチヒッターと言う事です。
終戦までソ連軍重戦車の主力として活躍しました。
余談ですが満州侵攻時のソ連軍もこのスターリン重戦車を装備しており、日本軍と交戦しています。
火力、装甲ともに日本軍戦車では敵わない相手でした。


今では子供のおもちゃになってますicon01

車体前面下部にある四角い凸凹は予備キャタピラの装着機部になります。戦闘でキャタピラが千切れたり破損した場合は予備キャタピラを使って修復しました。またここは装甲が若干薄いので増加装甲の役目もあったかもしれません。

カメラを向けると嬉しそうにはしゃぎます(笑)


て、感じの戦車が入り口にいきなりあるとは!

まだまだ続くぜ戦車博物館レポート!!


  

Posted by CAMP大原管理人  at 19:30Comments(0)戦車レポート